ボタン
ボタン
ボタン
ボタン
ボタン
ボタン


「みかわ牛」の命名の経緯

愛知県の和牛に関する記録として、遠く戦国時代末期徳川家康の父広忠の頃すでに和牛が生産されていた証として、健康のすぐれなかった広忠が妻於大の勧めで蘇(乳製品)を食べ健康を回復したという記録があります。

また、350年前にはすでに和牛を放牧するなど、杉平牛(現在の新城市作手杉平)と銘打って、遠く四国まで移出し名声を博したという古老の言い伝えもあります(昭和29年「愛知の和牛」全国和牛登録協会愛知県支部発行より抜粋)。

これらが愛知県の和牛の本源とみられ、以後役牛として飼育されていましたが、昭和31年以後、農機の普及につれその必要性が交代する一方、牛肉需要の増大につれて肉用牛として県下に広がりました。

また、三河山間部では古くから和牛繁殖が盛んで、ここから生産される子牛が「三河子牛」と呼ばれていたこともあり、県内和牛生産も三河地区を中心としていました。こういった歴史的経過並びに地理的な条件をふまえ、行政機関とともに検討を重ねて「みかわ牛」と命名されました。

また、みかわ牛のルーツが徳川家とも縁が深いことから、そのマークには葵(あおい)の紋を使用しているのもそのためです。

みかわ牛のシンボルマークは葵の紋をモチーフにデザインされています。





みかわ牛ブランドと出荷者協議会の歩み

昭和63年から愛知県とブランド設立に向けて協議を進める
平成2年3月 「みかわ牛」のブランドを設立、販売を開始
平成2年6月 「みかわ牛」の商標登録を出願
平成6年2月 現在の商標に変更
平成15年4月 「みかわ牛の指定基準」を改定し、取り扱いの拡大を目指す
平成20年4月 愛知県ブランド化推進協議会の品目に選定
平成23年6月 「みかわ牛出荷者協議会」を県下広域組織として発足
平成24年10月 ホームページ開設